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 バスはアスファルト道から徐々に、一面田畑が広がる道へと曲がっていった。舗装されているのかいないのか、土や石がまばらに散らばり、ほぼあぜ道に近い道を行く。
 田畑の中には時折農作業をする人達が見えるが、それ以外に人の影は無い。当然のことながら、そのような作業をする人はほぼ中年か老人で、若者の姿など絶無だ。
 当然と言えば当然だろう。今日は休日。こんな田舎と呼べるような辺境に住んでる若者は、ほとんど街に繰り出しているだろう。手伝いのため農作業に勤しむ若者がいる可能性ならあるだろうが、ここらの道を練り歩く若者などまずいない。

 なのに、なぜだろう?

 行く先に見え始めた看板一つのバス停に、ラフな格好の若い人の姿が見えるのは。
 サングラスにオーディオプレイヤー、肩にはバッグひとつを担ぎガムを噛んでいる。間違っても農作業の休憩中などには見えない。
 同じゼミの人で、彼も村に行くのだろうか、などと思考する。だが記憶を検索しても、こんな人物をうちのゼミ内で見かけたことなど無い。
 …………やはり、この満員バスの乗客の関係者だろうか。
 バスが停車し、予想通りというか、その若い人が乗り込んできた。
 整理券を取った後車内を見渡し、座るところが無い事を確認したのか肩を竦めた。
 その間にバスのドアは閉まり、一人の乗客を増やして出発した。
 その青年はガムを膨らまし、破裂させた。
「ぷぅっ!」
 青年は大仰に首を振った後、行儀良く包装紙にガムを包んで携帯灰皿に入れる。さらにこれまた大仰に両手を広げて、よく通る声で話しかけ始めた。
「オイオーイ、なーに暗くなってんだよ。もっと明るくいこーじゃないのー、こんな雰囲気じゃあ気が滅入っちゃうよ?」
 格好に合った明るい声。車内に初めて生きた声が響く。それは明らかに、バスの乗客らの空気とは一線を画す。
 その奮起を促すような声に応えたのは、冷たい静寂だった。そんな反応に青年は困った顔をする。
 ちらほらとその青年を見る人はいるが、決して彼とコミュニケートをとろうとしない。まあ、常識的な反応だろう。いきなりそんな呼びかけに元気よく応じる人は普通人でもほぼいない。
 そもそもそんな人が車中にいれば雰囲気があそこまで暗くなっていたことも無いはず。余りのイタイタしさに背筋が一気に寒くなった。
 ただそれでも、重苦しい空気に圧死寸前だった俺にはありがたい。不気味な薄ら寒さと比べれば、新鮮な空気を久しぶりに吸った気分にもなる。
 と、現実に深呼吸をしたのがまずかったか。
「おや、君も同じ行き先かい?」
 ぐりん、と青年が首だけこちらに向けて、尋ねてきた。
 …………興味持たれちゃったよ。
「えっ?いや、宮の里までですけど……」
「ほ?宮の里?…………宮の里、宮の里――――ああ、なるほど!!君こっちの関係で来た訳じゃないんだね?」
「?こっちの関係?」
 聞き返すも、若者は一人でうんうん頷いて自己完結をし、詳しいことを話さない。
「なるほどなるほど。そりゃそうだよねぇ〜。バスに人が乗るのは常識だよねぇ〜、う〜ん、…………ん?」
 と、訳の分からない納得の仕方をしていた青年は、こちらの祭儀の視線に気づいたのか、とたんに困惑の表情を浮かべた。
「あ、あ〜、……まあ気にすることは無いさ。僕たちはちょっとしたイベントのために集まっただけで、」
 すっと、青年の顔が無表情になる。

「――――君には全く全然一欠けらも関係が無いからね」

 感情の篭らない声で、これ以上踏み込むことを許さぬ声音で言い切った。
 暗に詮索するなと言っているのは分かった。先ほどまでおちゃらけていた分その温度差は決定的で、寒気さえ覚える。
 と、その青年がいきなり表情を歪めた。
「…………ああ、駄目だよ駄目駄目。下がる下がる。そう、もっとホットに、ファンキーに、熱く熱く、リー、リー、リー!!しんみりした空気は大嫌い、ネガティブはノンさ!テンションが低いと運も低いし喜びも嬉しさも低くなる!!」
 激高したように独り言を叫ぶ青年。頭を激しく振り、文字通り、自分を鼓舞しているかのようだった。
 そして、そんな彼の様子にも無関心なバスの乗客。彼を諌める者は何もいない。
 彼の鼓舞は続く。
「楽しいこと楽しいこと。ヤーヤーヤー!ゲームでもカラオケでもビデオ鑑賞でも朗読会でも楽しいことはみんな好きだよヤーハー!――――そう、そんなわけで――――もっと楽しいことを話そうよ!!テンションが上がる熱い話題!うん、そう、そうだね。…………とりあえず君の身の上話が聞きたいなあ。うん、楽しそう。、という訳でぇ。君が嫌がらない範囲で教えてくんない!?」
「…………は?」
 いつの間にか独白を会話に変えて、その標的に自分が選ばれてしまったようだ。
 ぺらぺらと喋り捲る青年に圧倒され、口を挟む暇が無かった。強引に話を持っていき、勝手に身の上話を強要する図々しさは怒りを通り越して呆れをもたらす。
「……はあ、あの、残念ですが、身の上話と呼べるような話は持ち合わせていないので。そのような人生も送っていませんし」
「ううん?ああ、いやいや。そんな堅苦しい人生録みたいな話じゃなくていいからさあ。こう〜、なんつーの?そう、趣味とか、そんな話題でいいんだよ。一つ二つあるでしょ?目的地に付くまでの暇つぶしだと思ってさ」
「いえ、確かに趣味はありますけど、話すような面白い話題でもないので……」
「え〜?面白いって、ぜって〜。囲碁でも将棋でもパソでも読書でも何でもさあ、話題広がるよ、絶対?」
「はあ、いえ。本当に、人に話せるような話題ではなくて」
 若干強めに発言した。そう、趣味に関してはある種の不文律で、あまり口外しないことにしている。別に守らなくてもいい決まりごとだが、普段ちゃらんぽらんに生きている分、このぐらいの自己に枷た規則ぐらいは守りたい。
 この言葉でさらに深く追求されるかな、と思ったが、その言葉ですんなり彼は引き下がった。
「うーん、そっか。まあ、あえて人に話したくも無い話があるしね。そりゃ仕方ない。うん。俺も趣味のギターでは話せない失敗談が沢山あるしさ。そう、ギター、ギターなんだよコレ。いいだろ?お年玉全部使ってゲットしたんだぜ?触ってみたい?弾いてみたい?ダメーーッ!!」
 オーバーリアクションでバッテンを作る青年。この人ほんとは何歳だ?
 しかしここまで傍若無人に振舞われても腹が立たない。彼の振る舞いは一見他人の心に土足で強盗に押し入るようなものだが、その実、取るべき距離は取っている。答えるのが嫌だといえばあっさり引き下がるし、こちらが忌避するような話題は避けて話す。どうやらそれらは計算的なものではなく、無意識に行っているらしい。生来の性格ゆえか、放つ雰囲気も騒々しいというより賑やかな人という印象が強い。
 要するに、それは彼の人徳なのだろう。計算された態度ではない、ごく普通に振舞える生粋の性格。よくグループの中心にいるようなタイプだ。そういう人間の周りは、いつも賑わっている。
 ……少し、違和感を感じた。
 今日は休日。若者なら、親しい友人とどこかへ連れ立って遊びに行きそうなもの。その中心人物のような人間が、こんな辺境で、一人でバスに乗っているという不思議。
 ――――そして、そんな人間が時折見せる不安定な精神。
 俺はほんのちょっと、探りを入れるような気軽さで、その一言を言い放った。
「――――ところで、私と同じ学生みたいですけど。学校生活は、楽しいですか」
 何て事を、ごく普通に聞いてみた。
 唐突にこんな質問は少し怪しいか、と内心思いながらも、青年の反応はそんな不安とは裏腹に、とても分かりやすいものだった。
「――――――へ?………………学校?…………。学校……学校…………ああ!学校、あ、あは、あははははははは!学校、そうか!学校生活か!あは、はははは……は…………は……………………」
 見るからに挙動不審な動作と言動。だがそれもぴたりと止まり、不気味な沈黙へと変わる。
「…………え?……あの……?」
「………………違うんだ…………。違うんだ…………」
 ポツリポツリと、さっきとは打って変わって低い声で呟き続ける青年。
 豹変は劇的だった。
「違う、違う、違う…………。この前はちょっと気分が悪かっただけでそんな事言うつもりなんて無くてただ相手にするのが億劫で面倒で今は違うんだだから大丈夫だよなのになのに違う辞めてくれそんな他人を見る目でこっちを見るな友達だろやめろやめろ違うんだ違うんだやめろ違うやめろ違うやmtgやうだjdやf亜slがだあああああああああああああ!!」
 大声をあげられた瞬間、自分は殴りかかられると思った。それぐらい気迫の篭った、渾身の雄叫びだった。さすがにバスの乗客も全員、例外なく彼に注目する。
 だが彼は予想に反し、縮こまっただけだった。
 胎児のように体を丸め、周りの外界すべてに怯えるように体を震わせている。
「………ちが…………だ……や……………………………」
「――――――」
 ――全く、訳が分からない。一体どういう事だ?さっきまでハイテンションの塊だったような人間が、急に対人恐怖症が発症した様になっている。
 俺がすっかり困惑していると、バス内の人間の一人、体格のいい中年男性がこちらに寄って来た。
「大丈夫か、どうしたんだ?」
 彼はこちらに来るなり体を屈め、縮こまった青年と同じ目線で彼を見据える。
「…………そうか…………」
 彼は何を知ったかそう呟き、すくっと立ち上がった。
「少し、こちらで休みたまえ」
 そう呼びかけ、彼は問答無用で青年を肩にかけて後部座席へと青年を送っていった。
 連れられて行った彼は落ち着きを取り戻したのか気絶したのか、ぐったりして成すがままになっている。取り合えず錯乱からは立ち戻ったみたいだ。
 その連れられて行く様子を見送る。気づくとバスの乗客は既にまた、元の無関心へと戻っていた。
「あまり気にしないでいいわ」
 ふと、隣から落ち着きのある声をかけられる。
 声の主は隣の席から。小学生ほどの女児を連れた女性。
 落ち着いた雰囲気で、声をかけてきた分他の乗客とは違うが、倦怠感のような雰囲気は同じだった。見た感じからして隣の席に座る少女の母親だろう。少女の方は興味心身でこちらを見ている。
「たまにああいう人がいるの。私達のように集まる集団の中には。けれど気にしないであげて。あなたに咎はないし、彼もあなたを恨んだりはしないわ。そういものだから」
「は、はあ……」
 その人の言っている事は全くもってチンプンカンプンだったが、向こうで介抱されている青年に深刻な様子はないようだ。今は茫然自失の状態に見えるが、先ほどよりはとても様子がいい。
 ちらりと見た感じ薬を飲んでいたようだが、何かの病気持ちなのだろう。肉体的か精神的か(恐らく精神的な物だろうが)は分からないが。
 どちらにせよこの女性の言うとおり、こちらにほとんど責はない。下手に謝りはせず、復帰すれば気軽に挨拶すればいいだろう。本当に病気なら、謝るのはむしろ失礼だ。
 バスはあぜ道を抜け、林道に入る。ここから本格的に山入りするのだ。目的地の寒村は近い。

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