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「ああ、その顔。見つかっちゃったみたいですね」
 にこりと笑う。ちなみに一日半ぶりの会話だ。だんまりを決め込んでいたときとは打って変わっての笑顔。これ以上ないほどの不気味さだ。
「署内はかなり混乱している。メディアにも漏れ出たからな。お茶の間の皆さんも困惑してるだろうよ」
 一心地つき、重田警部は切り出す。
「何でマネキンが埋まっていた?」
 容疑者・青木辰康は笑むだけ。何も話す素振りはない。
 予想していたのだろう、その反応を見て、重田警部は淡々と話し始めた。
「今も捜索隊は林の中を探っている。が、無駄骨に終わる。お前は確かに林の中へ荷物を運び、埋めた。恐らくマネキンだけを。死体なんて隠していない。いや、そもそもお前は人殺しさえしていない。…………現場と見られた家屋からは多量の血痕が見られたが、恐らく魚だか鶏だかの血をぶちまけただけだろう。ご丁寧にバッドで殴打した痕まで付けて、拭き取りまでしてな。前々から計画していたんだろう?あそこには誰かが暮らしていた跡が残っていた。…………お前がちょくちょく訪れていたとすれば、現場のセッティングにも説明がつく。いや、完璧だ。完璧過ぎるほどの、殺人の再現、模倣だ。計画から遂行、後始末からツメの甘さまで、ほんとそっくりだ。
 現役の警察官が言う、お前の空想殺人は、本当に完璧、だった」
 そして、本当の殺人事件ではなかった、と重田警部は言う。
「…………見つからなければ、過去形ではなかったんですけどね」
 ようやく呟いた青年の言葉は、本当に残念そうだった。
「殺人の模倣、ええ、言葉にすればそうです。――言葉以上のリアリティがありましたよ、模倣している間は。本当に人を殺しているようでした」
 青年は述べていくが、ここでぷつりと途切れる。肩をすくめて、もうこれ以上語らないというジェスチャーをする。
「動機とかは、語らないのか?」
「必要ないでしょう。ワイドショーが勝手に作ってくれます」
 と、言う事はだ。世を騒がすのが目的ではなく、自分だけの理由によってこの事件、空想殺人を為したことになる。
「理解しがたい。警察を手玉に取りたかったとかのもっともらしい動機を期待してたんだけどね」
「理解できないでしょ。僕のはほんとに、ただの自己満足なんで。うん、メディアは警察を翻弄したかった、っていう動機で決定するんでしょうけどね」
 彼はそれで構わないという。人には多かれ少なかれ、理解されたいという願望がある。後世の人間に真意を曲解されたまま逝く。彼は言ったとおり、真意を墓場の中まで持っていくつもりなのだろう。
「…………なんて面倒くさい人間だ。世間を騒がせるだけ騒がせておいて、解答だけははぐらかす。このままで終わったら推理のないミステリー小説に終わる。俺は調書になんて書けばいいんだい?」
「…………申し訳ないとは思いますけど。僕はもう何も語りません」
 重田警部はため息をついた。梃子にも動きそうにない。自白を強要するのも逆効果だろう。
 彼は恐らく、不法侵入、器物損壊罪で罪に問われることになる。無罪ということはない。これだけ騒がれた事件、放免するには警察のメンツが傷つけられすぎた。報道機関には散々叩かれることになるだろうが、動機が判明しない以上、無罪にする理由もない。むしろ動機が判明しないことは、報道機関の注意を警察の非難から逸らす事に役立つと上は判断するかもしれない。
 警察が動機判明に乗り気でなくなる以上、真実は闇の中へ葬られたままになる。真相は、明かされない。
「ま、そのうち心変わりするだろうさ。世間を見てれば、だんまり決め込んでもいられなくなる。人間ていうのは無理解に苦しむ生き物だからな」
 と、楽観そのままの意見を最後に述べる。
 もうこれ以上の会話は無駄だろう。重田警部は立ち上がり、取調室を後にする。
 最後に残された青木容疑者は、微笑み呟く。
「そうですね。そのうちがあれば、…………」


 この二日後、拘置所内にて青木辰康は自殺した。
 隠し持っていたワイヤーを用いての首吊り自殺。警察は死亡状況から、青木容疑者が予め拘置所内で自殺することを視野に入れていたと推測。自殺阻止は難しかったと表明しながらも、世間からは職務怠慢、注意が足りなかった、などの声が挙がっている。
 事件判明については、踊らされた警察、などの見出しが多かった。一方で、存在しない殺人事件さえ暴く日本警察を評価、などの文も一部あったが読者の支持は得なかったようだ。
 動機については重田警部と青木容疑者のやり取りで出たように、警察をかく乱するため、という説が有力だった。しかしこれについては、なお疑問点が残る。
 それは通報者の存在。彼女がいなければ、この度の事件が明るみに出ることはなかった。
 警察の撹乱目的のためなら、一般の目撃者が不可欠である。青木容疑者が後で通報したとしても、通報者と容疑者が別であると確立されない以上、事件がここまで大々的になることはなかったと刑事事件専門家は見ている。
 今回の事件は通報者がすぐに素性を明かし、その証言の信憑性とその証言に合った容疑者が確認されたからこそ、すぐに事件とみなされ捜査が開始された。もし匿名の電話だったり、容疑者自身の電話によって通報内容の不審人物がすぐに確認されなかった場合、単なるいたずら電話か、単なる不法侵入と器物損壊事件の発覚で終わっただろうとの見解がある。なお通報者は青木容疑者との関連性がないことが証明されており、共謀は無かったとここに明記しておく。
 いずれにせよ唯一動機が語れる青木辰康の自殺によって、事件の詳細が語られることは永遠に無くなった。全ては憶測で語るものに留まり、こうして不完全燃焼気味に『空想殺人』は事件として終わることになる。
 ――――以降、青木辰康が生前残したノートから一部抜粋する。警察も報道機関も手に入れていない、遺族が隠匿していた事件の計画書である。そこには支離滅裂ながら、真相の一部が語られていた…………。

 ――――そう、殺人だ。誰一人殺していなくとも、これは殺人なのだ。自分にとって、殺人でなくてはならない。
 殺人は、忌避すべきものと人は言う。してはならないという倫理が確立している。その原則なくして、社会という人類構造は成り立たない。そう、誰もが知っている、当たり前のルール。
 唾棄すべき、その『当たり前』。
 ああ全く、偽善であり欺瞞、虚偽にして虚飾。
 人殺しがいけないことが当たり前なら、法で縛ることさえ必要ない。法を制定するのは偏に、それが普遍的真理になりえないからである。人殺しがいけないというルール、そんなものはどこでも通用する常識とは足り得ない。
 よく言われるが、街中で百人殺したら殺人鬼、戦争で百人殺したら英雄、という例がある。ほら、簡単に人殺しの価値は揺らぐ。したり顔で常識や人道を語ろうが、切迫した状況では人殺しは正当化される。それどころか正義と呼ばれる価値が出る。その程度なのだ、人殺しの倫理というやつは。さらに戦争においては、最終的に価値を決定付けるのは人殺しとは何の関係もないところにある。勝者と敗者、それだけ。大国が空爆で一般人をいくら殺そうと罪には問われず、小国のテロリストは問答無用で死刑に処される。ふざけた話だ。結局人殺しの価値、命の価値を決めるのは、いつも強いものだけ。
 養殖漁業の話を例として出す。一度テレビで見たことがあるが、売り物にならない魚肉の欠片をペレット状にし、それを餌に魚を養殖していた。テレビのリポーターが能天気に、効率的で素晴らしいなどと話していたのを良く覚えている。魚と人間、逆の立場になればこれほどおぞましい話もあるまい。それがまかり通るということは、命の価値は同列ではない確かな証拠となる。人間は強者であり、魚は弱者。食べ物に感謝しましょう?偽善。命を大切にしましょう?欺瞞。
 この世界の真理など一つだけだ。
 『強いものが正義』
 それを耳障りの良い虚飾で飾るから歪みが出る。矛盾が出る。まるで悪魔の誘惑だ。彼らはいつも人に対して魅惑的な言葉しか言わない。絶対的なイニシアチブを持っているのは自分だと錯覚させられる。正義など幻想でしかない、世の中は欺瞞しかない、そして倫理はとても儚い。
 ああ、腹立たしい。世界はこんなにも嘘に満ち溢れている。一皮剥けば醜い真理、覆うのは拙い虚偽。世界はこんなにも最低だ。
 だから僕は、殺人を犯す――――


 ――――結局のところ、彼は優しすぎたのだろう。そして心とは裏腹に、この世界は厳しすぎた。倫理という不確かなものに絶望を覚え、世界の優しい嘘に浸ることも出来ず、高潔な精神のまま汚い欺瞞の中に生き続けた。そして終に耐えられなくなり、生きる方法を模索し始める。
 やがて彼は最低な世界で生きるため、ある方法を編み出した。空想殺人。すなわち、殺人による自己の貶め、である。世界が自分が生きるに値しないなら、自分の価値を変えようと自分が嫌う『強者』になった。
 …………本当に彼が殺人を犯していたなら、恐らく今も生きていただろう。彼が生きるため求めが『強者』になれたはず。が、出来なかった。強者が正当化される世界の倫理に絶望を持った彼が殺人を犯すことなど、そもそも無理な話だった。殺人を犯すほど生きる意思が強ければ、自分ではなく世界を変える選択しさえあったはず。皮肉な話、彼は生まれてこの方、強者の倫理にも世界の嘘にも、耐えることしか知らない。
 詰まるとこ、彼は『弱者』だった。
 救いがない。世界に耐えることができず、戦うことも浸ることも出来ない。彼が最期にとった手段、それこそが唯一の逃げ道だった。

 XXXX年X月X日 加賀峰 笙

 加賀峰笙人生ファイル・001『空想な殺人』

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